第3回小説宝石新人賞 最終選考 [完全載録]
第3回を迎えました小説宝石新人賞。回を重ねるごとに応募作品のレベルアップが見られるようです。今回は新しく藤沢周氏を選考委員に迎えて最終選考を行いました。講評は小説を書くうえでの貴重なアドバイスにもなっています。今年はどんな作品が受賞したのでしょうか。|進行・本誌編集長 丸山弘順 / 撮影・都築雅人 藤沢周×角田光代

最終候補作品 応募総数1150作 * 上原びわこ「カメといる場所」 * 青蛙雨堂「梅と鶯」 * 弐藤水流「コヲド・マアク」 * 林絵理沙「八重血蔓~Le cercueil nomme Doll」 * 梁瀬英徒「光線銃撃ち終る」 * 山本秋宏「うつむいて笑う日」 * 渡辺淳子「父と私と結婚と」 ※作者五十音順 選考委員のお二人には、タイトルとペンネーム以外の情報は一切お伝えしてありません。――第3回小説宝石新人賞の最終選考会を始めさせていただきます。今回は応募総数一一五〇作品の中から七作品が最終候補に残りました。角田光代さんは三回目、藤沢周さんは今回が初めてということになりますが、選考よろしくお願いいたします。
まず、角田さんに「カメといる場所」からお願いします。

角田光代 以下、角田 : 「カメといる場所」は、私は×を付けました。面白かったし、この人ののったりした文章が読んでいると癖になるし、いい話だとは思いますが、文章が作文みたいかなという点が気になりました。わざとこういうふうに作っているというよりも、ふつうに書くとこうなるのではと思って、そこでまずひっかかったというのがあります。
それから、例えば「二十五過ぎたら女はどうたら」とか、「クリスマスケーキとはよく言ったものだ」みたいな表現が出てきますが、「それはいつの時代?」というような感じがして、それを平然と書いてしまう気持ちにちょっと疑問を覚えました。
「結婚とはこうだよ」とか、「女とはこうだよ」とか、「他者とはこうである」というのを自分で考えずに一般常識を受け入れて書いてしまっているような気がしました。面白かったし、和みましたが、ただそれだけという感じがしてしまうんですね。

藤沢周 以下、藤沢 : 全く同じ。×だったんですよ。確かに可愛らしい小説ですよ。だけど、自己満足というか、ナルシシズムでちょっとベタベタした感じがある。
姿勢自体は一つ一つ丁寧に書いていて、好感が持てる。自らの気持ちを大切に確かめているんだなと思うんですが、それがなぜベタベタした感じに取られるかというと、確認しているものが既に前もって解決されているものだからなんですよ。書きながら、自分が女であるとか、他者とは何かとか、それをまた傍観するカメの存在であるとか、そういうものに自分で先行するイメージを持っている。それをまた疑って壊して、またさらに違う姿勢を得るみたいなことをやればいいんですが、既に解決されているわけです。つまり、自分の理想とするものが用意されているという気がする。だから、予定調和の悪いところが出たかなと思います。何とか自分の幸せを掴もうとか、いまある幸せを肯定していこうという姿勢自体は誠実なのですが、作品としては作文の域から出ていないかなという感じがしました。

角田 : 可愛いですけどね。ほのぼのとして。

藤沢 : ほのぼのとだったら、いっそのこと予定調和の枠を戦略的に借りて、それに乗って書けば何とか成立するのかなと思ったんですけど。時々、喧嘩して家出してみたり、そういう小さなアクシデントがあるのですが、そのときにもう少し自分が破綻したり、ほころびのリアルなところが出てこないと弱い感じがしましたね。

角田 : 騒動が小さいんですよね。思いきって、カメを捨てに行くというような展開の仕方もあったかもしれませんね。旦那さんの前の彼女のエピソードとかも弱い。

藤沢 : ところどころいい観察というか、いい感覚だなというものがありましたが、もっと全体的に、例えば旦那のほうに向く観察とか、姑さんに向く観察であるとか、強度を持たせてくれればいいかなという気がしましたよね。
それから、自己愛は難しいんですね。小説を書くときはどうしても究極自分のことを書きますからナルシシズムが出てきますが、読者にとって作者のナルシシズムって全く余計なものです。それを、いかに捨てられるかというところからですね。

――次の作品は、「梅と鶯」。

藤沢 : 僕は、これは○でした。最初はどうかなと思いつつ読んでいきましたが、単純に泣かされて感動して乗っかったんですね。いわゆる、落語の人情噺と怪談噺、そういう語りの原理があって、いわゆる三遊亭圓朝によって完成された三遊派の典型の物語構造だと思うんですが、登場人物との距離感もあって、なんかいい芝居噺を読ませてもらったなと。ストーリーとしても無駄がなくて、無駄がないといいつつ、伏線も張られている。最初の登場人物が最後に絵師として現れたりとか。多分、落語をベースにしていると思うので余分なキャラクターもなくて、逆にポイントを衝いているなと思いました。
そういう部分で、非常にシンプルな話かもしれません。それゆえに、初音という女性に、自分の思っている女性像を重ねてしまうぐらいの魅力があります。まあ幽霊ですから、逆に自分の好きなタイプみたいなものを吸い込ませるようになっていて、これはちょっといいなと、読後もしばらく酔わされました。

角田 : 私は、○に近い△を付けました。まず、幽霊というアイデアがすばらしいし、薬の件りが「飲んだら不老不死ではなくて、死んだら不老不死」とか、すごくひねってあって面白いなと思ったし、人間も魅力的に書いていると思います。
ただ、○にしなかった理由は、文章がちょっと拙いかなという気がしました。それに、だんだん最後のほうにいくにつれて、誰々がどうしました、それでこうなりました、みたいにあらすじを書いているみたいで、最初にあったような色とか匂いが先を急ぐあまりどんどんそぎ落とされたのがもったいないかなと思いました。

藤沢 : 文章の拙さの他に、観察とか、いわゆる描写があまりないので、僕もどうなのかなと思ったけど、「あっ、これは落語なんだ」と思ったときに、人情噺の新しいタイプなんだなと思って。じゃあ、それに乗っかっちゃえと思ったら、わりと読みやすくなった。
他の候補作品は、けっこう描写が凝ってたりするじゃないですか。だから、色というか匂いというか、それが違ったがゆえに僕はいいのかなと思ったんですけどねえ。

――わかりました。それでは、三作目は「コヲド・マアク」。

角田 : 私は、×に近い感覚です。最初はすごく興奮しました。こんなにちゃんとしたミステリーを新人賞では読んだことがなかったので。しかも、短編なのにミステリーを書くんだと思って面白く、わりとのめりこんで読んでいたんです。でも、途中で女性が「パラレルワールド」の説明を始めるんですが、そこで急にその説明がすごく難しくなって小説のスピードの勢いが落ちて理屈っぽくなって、さらに何を言っているのかわからなくなるんですね。そこで、煙に巻かれた感じがして、最後はよくわからなくなってしまいました。
すごく巧いとは思ったんです。ただ、ミステリーが与えてくれるカタルシスみたいなものがなくて、よけいに混乱してしまって終わったので△に近い×にしました。

藤沢 : これはなかなかペダンチックなところがあって、僕も最初は面白いなと思いました。ストーリー展開だとか、取材もよくされていていいなと思ったんです。
読後感は、メビウスの輪を巡るような感じがして、非ユークリッド的な世界を書いているんだろうなと思ったんですが、どこか腑に落ちるものがなくてもやもやとした感じがあったんですよ。何なんだろうなと。
ある種これ、狂気落ちというか。夢落ちではなくて狂気で落として、その主人公が狂っていたみたいなことになるんですけど。幻覚に逃げるとか、妄想に逃げるとか、たぶん、作者は最後をどういうふうにきっちりとまとめようかと思って相当悩んだと思います。
僕が連想したのは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』でした。入れ子構造、メビウスの輪みたいに終わりがないわけです。
この中でたくさんドッペルゲンガーが登場しますが、作者の名前自体が、作品に組み込まれているんです。なるほどと思ったんですが、それがカタルシスにつながるかというと、そこまでいかないわけです。そんなものでどうかなという気もした。様々なものを入れてきたけれど、そのための説明が多すぎた。もっと素材を削ったほうがいいということと、あと三人称より一人称にすべきかなと思いました。
三人称で「彼」とかやると、最初から読者を騙すことが可能になる。この作品では、書いている本人が、つまり一人称で「私が書いている」ということを書かなければならないけれども、三人称の場合は「私が書いている」ということは書かなくていい。ところが、最後にその三人称の「彼」というのが書いていたんだというふうに思わせるような、ちょっと騙されるところがあるんですが、やはりこれは一人称で勝負すべきだなと思いました。
それで△にしたんですが、あと一、二作ストーリーをもうちょっと厳密に計算してきっちり完成させよう。また、書き手としてのアリバイみたいなものもちゃんと掴んでいけたら、多分プロになれると思います。そんな匂いがあります。

角田 : うん。もっとシンプルにしてもっとシンプルに騙せば、最後でのカタルシスで気持ちがいいと思うし、この人はここまで書けるんだから削ぐほうは簡単だと思うんですね。
なんか、煙に巻かれてもいいと思うんですけど、煙に巻かれたほうが、「ああ、そうか」と一箇所でもあれば、どこで煙に巻かれたのかを考えないと思うんです。どうしても煙に巻かれた感が残っちゃうというのがもったいないという気がしますねえ。

――続いて、「八重血蔓」。

藤沢 : この作品もペダンチックな趣向の小説で、いわゆるネオゴシックを狙ったなというところがあります。擬古文で泉鏡花的な、あるいは谷崎とか横溝とか、そういうある種の不思議なトーンを楽しむ作品なんだろうなと思いました。愛であるとか、血であるとか、間引きであるとか、一瞬、深沢七郎の話をふと思い出したりもしますが、ずっと読んでいくと人形が出て来ます。球体関節人形ですね。この必然性って何なのかな。別に、ベルメール的な球体関節人形でなくても、普通の人形でもいいんじゃないかな。ここが、やはり林さんという人のゴシックに対する熱というか情熱、美学なんだろうと思いますが、そこの説得力があるかどうかなんですね。
世界自体は楽しみましたが、感動する所に届かない。もう少しかな。なぜかというと、主人公ではなくて、作者自身の美学を表現したくて距離感がちょっと取れなかった。もっとこれがマニアックになっていくと、我々を揺さぶってくるんでしょうが、そこが出てなかったのかなという気がします。これはやっぱり△かなあ。

角田 : 私は△に「?」が付いている。すごく巧いというか、見事に書けていると思うんですね。ただ、小説自体が非常に閉じているので、何にもこっちに訴えかけてこない。一つ話を読み終わって、「ああ、そうだったのか、へえ~」と終わってしまうような感じがあって、この人は何を書きたかったのかなとずっと思っていたんですけど、藤沢さんの話を聞いてわかりました。球体関節人形が書きたかった。でも、そこだとしたら弱すぎるというか。それこそ、思いだけが強すぎるのか。この閉じている意味がわかったというか、作者の美学という言葉で、そこで閉じてしまったんだなって思ったんですね。
この世界観をつくって最後まで守りきれたのはすごいと思いますが、こっちに訴えて来るものがないというのと、最後もオールキャストが出て来たなというだけで、するっとした感じで終わってしまったので、「?」をつけたんですね。

photo藤沢 : エピソードをもうちょっと縮めて、横溝正史の短編「蔵の中」の世界のように、グッと圧縮させるような感じでまとめたほうが面白いだろうし、この人の筆は冴える。この作品は、もっとどろどろした匂いとか、怖さとか、人間の業であるとか、行間にほの暗さがあったらいいんだろうなと。

角田 : 道具立ての割りには、あんまり気持ち悪くないんですねえ。藤が魂を吸うとか、間引きとか、初潮とかが出てくるわりには、つるつるしているというか、あんまり気持ちが悪くならない。それもおしいかなあ。
タイトルも、例えば「藤の花」とか、もっと普通の言葉であれば変なものが出てきたときに、もうちょっとグッとなると思いますけど、タイトルが凝っているので、何かこの人がこだわっている世界なんだろうなというのが、このタイトルでわかっちゃうじゃないですか。そうすると、読み手が身構えるから損しているのかなとも思います。ただ、これがまさに作者の捨てきれなかった美学なんですね。

藤沢 : そうですね。新人賞の場合は、こういう世界を書きたいという思いが強くなればなるほど、いろいろなものを詰め込んだりする。だけど、詰め込めばいい世界が書けるかというと、そうではなくて、逆に読者はもっと感受したり、想像したりしますから、逆に削れば読み込んでくれるところがありますね。その部分を、作者は何作か書いて覚えるといいですね。短編とか、怪奇小説、幻想小説集みたいな、そういうワールドが創れる資質があるような気がしました。

――では次の作品にいきますが、「光線銃撃ち終る」。

角田 : これは、藤沢さんの意見をすごく聞きたいと思っています。
私は、この作品はまず文章がとにかく下手だと思ったし、紋切り型の表現が多すぎる。あと、視点が定まっていない。あえて神の視点で書いているというよりも、書きたいように書いていたら、視線がどんどん揺らいでしまったのかなと思ったんですけど、全部読み終わってみて、一番印象に残ったのはこの作品だったんです。何なんですかね?

藤沢 : 神の視点というと、キリスト、十字架がキーになってきますが、それを意識しているわけじゃないなと思った。やはり人称の問題ですね、三人称で書いているけど、どこに視点を持っていくかが中途半端と言うか、バラバラしている。そして、この志郎という主人公ですが、強すぎる。これはもったいないと思った。
僕はこの作品を読んだときに、二つの別物の小説が合わさっているような感じがしたんですよ。そこで、二つのタイプの小説をどちらかに絞っていけば、いけるかなという気がしました。つまり、志郎の強すぎる部分を、「特命係長・只野仁」みたいな形で書く。ダイバーが潜水するときのディテールは冴えているし、他にもサメの動きを描写する部分とか、喧嘩の部分、つまり身体の動きであるとか、そういうものは非常にいい目があって躍動感がある。だから、ハードボイルド的な世界で進むんだったらOKだろうと思う。もう一方で、地方の港町で日々の労働を通しながら、地方に伝わる宗教みたいなものを本当に突き詰めていって、文章も考えて書いていくと、ある種、中上健次的な純文学のほうにもいけるのかなという気がした。
迷っているけど、それは作者の自意識なんですよ。自意識があり過ぎなんだよね。それで読者が構えてしまって、こんな強い男が出てきたら面白くないよみたいな。それだったら、只野係長になってくれよみたいな。

角田 : この光線銃は、人を殺したときに何の痕跡も残さない。そうすると、じゃあ、皆、この銃を持てばいいじゃないみたいなドラえもんグッズに思えなくはないですよね。これだったら、誰でも殺せるということがある。
もう一つ、この主人公は喧嘩した相手を植物人間にして、それでもなんとも思わないというところがあって、そんな人がドラえもんグッズを持っていたら確かにつまらない。身体も強いわけだし。ただ、潜る仕事というのは非常に新鮮だったし、何か気持ち悪さがあって、それが印象に残っていたのかなあ。隠れキリシタンのエピソードは必要ですか?

藤沢 : そうですね。ある種の装置として使っているという感じがするけど、隠れキリシタンがキリストの十字架を持ち出すことだけで、罪の意識や贖いであるとか、そういうものを書けたとするのはちょっと安易かなという気がします。それだったら、もっとキリスト教的ドグマをところどころ入れていかないと、薄い。だから、この小説は喧嘩のシーンとか、殺人なんてものは要らないと思ったんですよ。単純にダイバーの仕事、これだけでもいいと思ったわけです。

角田 : いろいろな欠点があるのはわかるけれど、確かに何かが強いとは思います。

藤沢 : 角田さんがおっしゃるように、これを読んだ後の気持ちの悪さ、いい意味での気持ちの悪さが残るというのはそのとおりですよね。
だから、小説としては破綻があるんですが、何かこの書き手の強度、どうしても書きたいという意思というものがみなぎっているわけだ。資質自体は相当なものだろうなと思いますけどねえ。僕は△ですが、角田さんは……。

角田 : 私は、○に近い△。

――では、続いて「うつむいて笑う日」。

藤沢 : 僕は△なんです。非常に誠実な作品です。最大公約数的なせつなさというか、悲しさ、優しさみたいなものを感じました。それを淡々とした筆で書かれている。下手に解決させないということです。そのところがなかなかいいなと思ったんです。ラストの宙吊り感がリアルでいいと思いました。
そして時代とか、アンニュイな感じとか、それを真摯に見つめる眼差しみたいなものはとてもいいと思いましたし、山の風景を通しながら自分の心情を反映させるみたいなところが巧いなと思いました。ただ、描写がシンプルなので、この作者はどちらかというと、小説よりも脚本が向いているんじゃないかなという気がしました。小説にするんだったら、描写をもっと丁寧にやっていくべきだろうと思いました。

角田 : 何も起こらないことを、こんなに長くしっかり書いて読ませるというのはすごく力があることだとは思いますが、どっちかというと×です。
藤沢さんと同じで、自然描写がすごくいいなと思います。こういう自然を書く人がいまあまりいないので、山の描写を書いていくのがすごくいいと思ったんです。あと、唐揚げにレモンを搾るとか、なんでもないことを書いて、でもちゃんと読ませるところは面白いと思いました。だから、何かの力はすごくあるんだろうと思いましたけれど、それにしては人物たちがあまり生き生きしていない。あまり書かれていない気がしました。
そして、この弟が何もしない。御飯も作らないし、洗濯もしない。生活費を渡すだけで、ずっと家にいるのに何もしない。そのくせ、姉ちゃんの前の旦那が養育費を払わないとすごく怒っているけど、そんなに姉ちゃんを労るのであれば、家事を手伝えばいいじゃないですか。そういうつまんないことが気になる。この人が家事をしないことが気になるというよりも、家事を徹底的にしない人を書こうと思って書いているのか。それとも、物語を進ませる上で、何かさせたらまずいから、徹底的に暇でいさせないとまずいからやっていないだけなのか。人が取る行動とか、交わす言葉とかに奥行きがあまり感じられなかったんですね。そして、タイトルもあまり魅力的ではない。主人公の年齢もあまりリアリティがないような気もしたし。それで、×を付けてしまいました。

藤沢 : 欠点は人物描写がないということだと思うんですよ。ト書きに近い。だから、僕は脚本だなと思うんです。小説は役者を頼りにしてはいけない。描写しなければいけないんです。確かに丁寧に追っていく姿勢みたいなものはすごく感じます。ドラマにもなりやすいかなと。ですが、いかんせん小説としては描写が足りない。特に人物描写がないので、観察してもっと書かないと。

角田 : そうですね。つまるところ、人物のリアリティですよね。「この子は何にもしない子」というリアリティがあれば納得するわけです。

――では最後の作品になりますが、「父と私と結婚と」。

角田 : この「父と私と結婚と」は、面白くて、すごく不思議な魅力があるので、もうちょっと工夫すれば強く推したいなと思いました。
主人公の女の子が安いクーラーもない部屋に住んでいるのが嫌で、とにかく結婚しようと思う。そこで、結婚相談所に入会し、そして、次々断られていくという設定がすごく面白いし、婚活とか言われている「いま感」みたいなものがすごくあって、ちょっと新しいなと思ったんです。この人は非常に新しい意味合いでお見合いをとらえている。ここが、すごく面白いと思ったんですね。
ただ、キャラクターがありきたりというか、二回目に出会ったいい男のほうが悪い奴で、最初の太った男のほうがいい人というようなところが気になった。それから、タイトルに「父」が入っていて、父というのがすごく大きな意味を持っている割には、父の存在がすごく弱いと思います。

藤沢 : 僕もこれは○でした。非常にこなれていて安定していたという気がしました。主人公の女性は独身で二十八歳ですが、ある種の諦めと、でも、まだ希望が捨てられなくてみたいなことを、いわゆるフェミニズムというとヒステリックな感じがあるけど、そんなものではなくて、人としての矜持みたいなものを通してさりげなく提示している。個人の尊厳が肩肘張らずに出ているのかなという気がしました。
キャラクターも、ステレオタイプと言えばステレオタイプですが、結婚相談所の担当者の時々電話をかけてくるタイミングとか、あとクリーニング屋のおばちゃんとか、そのキャラクターを見る眼差しというのが、「あっ、ポイント衝いているな」と。それが典型的に出ているのがもじゃもじゃ頭。髪の毛を切って、「もじゃもじゃ頭じゃなくなったもじゃもじゃ頭がそう言って」というフレーズ、これは巧い。作者自体が、この主人公をきっちり見ているなという気がした。
あと関西弁がドラマを成立させている要素もあるわけですが、ここが先ほどの「うつむいて笑う日」とはちょっと違う感じで、いい風を入れてくれるというか。ところどころ、扇風機のシーンでスイッチボタンの高低差であるとか、そんなディテールを覗かせながら、彼女の生活のわびしさとか、かったるさであるとか。でも、望みを捨てない部分であるとか、細部を活かしながら描写している。
一つ気になったのは、帰属感に寄ったところがあるなという。それは多分、角田さんが言ったキャラクターの典型的なパターンが並んでいるというところにつながると思います。
ただ、非常に読みやすかったですね。

角田 : 最後にお父さんが出て来るのは、すごくいいシーンだと思うんですね。お父さんの前で「結婚しないわ」と言うシーンはすごくいいと思いました。
あと、結婚話にまでなる男が、「きょう、何の仕事だったの?」と聞くと、「言ってもわからんやろ」というのがすごいリアルというか、そういう細かいところにリアリティがすごいあるんですね、ハンバーグがすごい美味しいとか。

藤沢 : この男が女主人公に慣れていく感じ、女性に慣れていく感じのグラデーションがリアリティがあった。「ああ、男ってこういうことを言う」というリアリティがありますね。冷汗が出たよ(笑)。

角田 : ちょっと二人目の男を悪い人にし過ぎかなという気がします。最初に紹介されたデブの男のほうが絶対いいということが皆にわかってしまう。だから、二人目の男のほうにももう少しいい所があるぐらいの。私は、○に近い△。

――それでは、最終的にどの作品を選ぶか話を進めたいと思います。

藤沢 : まず、破綻のないしっかりした作品と、破綻があるけど力がある、何か持っているというタイプと、物語的には難があるが才能はあるという三つのケースに分類されると思います。
才能という意味では、「コヲド・マアク」の弐藤さんはすでにセミプロのレベル。惜しいかな、もうちょっと整理しなければだめかなと。自分の中で絶対確実にすべて証明できるような、あるいは読者にどこかで腑に落とさせるカタルシスみたいなものを仕掛けるということを厳密に考えたほうがいいかなと思います。
七作読んできて、僕を感動させてくれたという意味で言うと青蛙さんの「梅と鶯」。すごくシンプルな作品だけど、ストレートに胸の急所を衝いてきた。
あと二つ非常に気になるのが「光線銃撃ち終る」と「父と私と結婚と」です。特に渡辺淳子さんの「父と私と結婚と」は、恐らくこのまま商品にもなるかなというぐらいこなれていたし、テーマもあったし、思いもあった。いい作品かなと。
それから「光線銃撃ち終る」は、ある種いい意味での気持ちの悪さ、不穏さみたいなものが残った。どうにもならぬ不可解な人間世界を開示してくれた気がして捨て難いです。
角田さんは、「梅と鶯」は?

角田 : 私は去年のこの賞と、他でやっているエンターテインメントの賞で江戸物が非常に多かったのが気になっているだけです。この二、三年連続して時代小説が賞を取っているんですね。余りにも江戸物が多く出てくるし、いとも容易すく賞を取ってしまうのを見ていて、現在とか現代は非常に書きにくいのかなという気がしました。例えば「うつむいて笑う日」なんかを読んでいると、何か行き詰まっているような気がすごくして、現代を書くのはいま難しいのかなと。
そうすると、江戸物を書くとある種のウケがいいとか、それこそ善人しか出てこなくても、まとまって読ませてしまうというのが何かひっかかっています。

藤沢 : 江戸物のフレームは強固かつ魅力的ゆえに、逃避にもなる。

photo角田 : ええ。時代小説はやっぱり読んでいて気持ちいいし、ある意味予定調和でも、やっぱり面白かったな、いい話を読んだなという気持ちがあります。でも、それでいいのかなという気がすごくします。私も「梅と鶯」は本当にいい話だと思ったし、設定が新鮮だったとは思いますが……。ちょっと、時代小説ってどうなのかなと。だから、作者の人にはすごく悪いのですが、ちょっと辛口になってしまっているところがあります。
いま藤沢さんが三つ挙げてくださいましたが、私も他の作品は落としていいと思います。確かに「コヲド・マアク」は達者です。でも、ここで受賞となると、ここに留まってしまう気がします。自分で納得する小説を書いて提示するだけで終わってしまう。読み手を連れて行くことを覚えないと思うので、もう少し読み手を巻き込んで、読み手を意識したものをぜひ書いてほしいなという気持ちがあります。

藤沢 : そうですね。プロになるには、その目の前に深い谷があるわけですが、そこを飛び越えてほしいところがありますね。
このまま、自分の才能を独我論的な世界だけで終わらせてしまう。例えば、「八重血蔓」の林さんはむしろそこが魅力のタイプなのかもしれないけど、こうやって新人賞に応募してくるということはプロの書き手になりたいわけですから、もう一歩、二歩、飛んでみなよという思いがします。そうすると、青蛙さん、渡辺さん、梁瀬さんになるかな。

角田 : 梁瀬さんもすごく迷うというか、これが受賞作だとなると、非常に危険な話ではありますね。力があるのはすごくわかるし、他の作品にはない力があるというのは本当に思うんですが、これをそのまま受賞作にしたときに、やっぱり視点の揺れ、ブレとか、文章の稚拙さがそれでいいのかという気がする。

藤沢 : まだ習作の段階ですよね。必ず、新人はこういうものを賞を取る前に書きますからね。そこで、要らないものは何か。削るというのはすごく大事なことで勇気が要ることだ。あるいは、的確に自分を表現するもの、書きたいストーリーというものを見極めるということ。どこかで怖い場面に立ち会わないと、このまま出て、これがデビュー作となると、かえって可哀想かもしれないですね。梁瀬さんは、書けば書くほど巧くなると思います。捨てるところを覚えられるかな。まだ詰め込みすぎていますから。
いつも新人賞は一作ですか。

――いままで二作品はありませんが、昨年は、もう一作特別賞として「奥田賞」を出そうかなと前選考委員の奥田英朗さんは最後まで悩んでいましたが、最終的に見送りました。今回は二作品を選びたいという感じですか。

藤沢 : まあ、二作上げてもいいかな……。ただ、こうやって話をしてきたのは、大体相対的に見てしまうということなんですね。この中だけで選択するという意味を考えたり、あるいは「小説宝石」という雑誌に出して、本当に読者が「あっ、面白い」と言ってくれるかどうか。一方、文芸誌のほうになると、破綻があっても、「なんだ、これ」みたいな怖いもの、読者の思考の地軸を狂わせてくれるものに対して「すごく変なもの持っているよね」で通る場合もありますから、そういうところをちょっと考えちゃうんですよ。
だからこそ、捨て難いなと思うのは、「光線銃撃ち終る」と「コヲド・マアク」。ただ小説としてはどうなんだろう。これで賞を上げていいのかというと、この二作はやっぱり足りないなという感じがしてくるんですね。僕の中で準備してきたのは、渡辺さんと青蛙さんの二人だったんですが、ちょっと甘すぎるかな。

角田 : 私は該当作なしというのはすごく嫌なんですね。できれば、そういうことはしたくないなとずっと思っていて、それで、きょう来るときには、「父と私と結婚と」、「光線銃撃ち終る」かなと考えていました。でも、話をしていて「光線銃撃ち終る」は受賞作にしない方がいいと思いました。それは、はっきりと。この作者は絶対に書ける人なので、ここで受賞したらこの人にとってよくないと思います。渡辺さんの受賞というのはすごくありだと思います。

――「梅と鶯」に関して角田さんは、江戸物はかなり賞を取りやすい環境にあって、危惧を抱いているというようなお話をされましたが。

角田 : それって、青蛙さんには可哀想だなと思います。たまたま私は三回続けて時代物の受賞を見てしまったので、四番目の人ということでちょっと可哀想で。一番にこの作品を読んでいれば、推したかもしれないけれども。自分としては、これ以上すんなり時代物を入選させたくないという気持ちがどうしてもあるんですね。でも、藤沢さんがこの方に賞を上げたいという場合は、全く異論はないです。

藤沢 : 僕はこのジャンルのものをほとんど読んでないということがあって、単純に「ああ、気持ちいい、ああ、感動したな」ということなんですよ。
それでキャラクターの配置であるとか、伏線の張り方であるとか、そういうもののバランスとか。落語スタイルを借りたにしても、「読んでよかったな」という気持ちが強くありました。読んだ中では一番強かった。

角田 : 青蛙さんはたぶん次の作品も、全く同じ完成度で書いてくると思います。だから、この作品がいい悪いとか、もう一回書けばもっとよくなるという話ではないと思うんです。ある程度水準を超えているんだと思います。

――ある程度完成された世界ということですね。

角田 : 夫の裕之助が差し出した両の手に初音が手を重ねるというところとか、美しい泣かせどころがいくつもあるんです。

藤沢 : トーンが安定しているから、「ここがいい」というシーンを示すのは難しいのだけど、たとえば、「宗七は『お藤さんの背中をなでていますよ』と言った。」というこの部分。グッときたから○を付けた。こんなところでグッとくる私も何だろうと思いますけどね。泣かせどころを知っているんだよねえ、そういうポイントを。
これは時代物ではありますが、重松清さんみたいなところがあって、泣かせるツボみたいなのをちゃんとわかっている。
さっき落語と言いましたけど、僕はどちらかというと小説のフレームとか、枠組みとかを壊すほうが好きですから、破綻があるほうが好きなんですが、逆に成熟した作品のあり方として、「もう枠は決まっていますよ」と、その中でどれだけ泣かされるかとか、カタルシスを覚えさせてくれるかとか、そういう小説もありだなと思っています。昔は、絶対に拒否していたんですけど、いまになってくると、小説の面白さ、楽しさって何だろうと考えたときに、いろいろなものがあって自由なんですね。いいものを見させてもらったなとか、いいものを読んだなとか、そんな感じもあってこの「梅と鶯」もありかなと。

角田 : 悪くはないと思います。やっぱり読み慣れていない弱点があって、この人の新しさは何なのかというのがわからなかったんですけど、もしかしたら、泣かせのツボを知っているということがこの人の武器になるかもしれないと、話を聞いていて思いました。

――では、お二人の結論が一致したようですので、今回は二作品受賞ということにさせていただきます。
選考に関して他に補足することがありましたら。

藤沢 : 角田さんもおっしゃいましたが、時代小説がとても多い。やはり時代小説ってある種のユートピアというのか、安心して見られる。現世から離れられるというふうな安心感があるじゃないですか。だから、それはそれで楽しみがあると同時に、逆に逃げになる場合があるから、そこの点でどう冒険していくかが作者にとって大事な勝負所だと思うのです。単純に気持ちいいからとか、安定感があるから、あるいはいい話だからという地平で落ち着かずに、もっとエンタテインメント的にも文学的にも冒険してもらいたいなというところが青蛙さんにはある。ただ、この中では一番感動させられたというのは事実です。
そして、小説として安定しているのは渡辺さん。うまいし、人が描けている。雰囲気感もある。主人公が矜持もちゃんと構えていて、とてもバランスがいいなと思いました。

――角田さんは三回選考委員をやられて今回が最後になるわけですが、三年間の思いも含めて、総括的にまとめていただけると有難いのですが。

角田 : 私は、この三回目が一番レベルが高かったと思って、それが嬉しいですよね。ただ、レベルが高いということと、小説がこっちに迫ってくるかどうかというのは別なものなんだなと思いました。今回、完成度は高いのに閉じている小説がすごく多かった気がします。
あと、詰め込み過ぎているとか、何か作りこもうとし過ぎて遠くなってしまった小説が多いような気がして、作りながらも、でも、迫ってこなければいけないって何なんだろうとか、いろいろ考えました。過剰に作り込む必要はないと思うんです。うまいんだけど、もうちょっと引き算をして、複雑な作りよりもどうすれば小説の魅力が一番わかりやすく伝わるかに心を砕いたほうがいい気がします。

――長時間にわたる最終選考、ありがとうございました。

第3回小説宝石新人賞 折口真喜子「梅と鶯」 渡辺淳子「私を悩ますもじゃもじゃ頭」