第4回小説宝石新人賞 最終選考 [完全載録]
藤沢 周×三浦しをん 「選考過程の見える新人賞」としてスタートした小説宝石新人賞も第4回。今年は新しい選考委員に三浦しをんさんをお迎えし、藤沢周さんとの間で最終選考会がおこなわれました。講評はこれから小説を書こうとしている方へのアドバイスでもあります。応募総数1297編の中から選ばれた作品は──。|撮影・都築雅人

最終候補作品 応募総数1297編 * 北原なお「同居人」 * 河野裕人「蛮族の花」 * 酒見優里「父を捨てる」 * 佐々木ゆう「山路」 * 月島由里「涙の純度」 * 辻原邦彦「忌日」 * 籾山市太郎「アッティラ! ※作者五十音順 選考委員のお二人には、タイトルと名前のみ書かれた表紙でお送りしました。年齢、職業等、一切お伝えしてありません。――第4回「小説宝石新人賞」ですが、最終候補に七編残りました。まず一編ずつ講評をお願いします。作者名の五十音順で「同居人」からお願いします。

藤沢周、以下藤沢 : 今回は七編とも面白いなと思いましたが、これはその中でもかなりいいほうでした。孤独な老人の妄想なのか現実なのかわからないけれども、老いの問題をしっかりと押さえていますね。小さい人間「熊蔵」が、老いの孤独みたいなものの象徴になっています。ABC段階で言えばAをつけました。ただし娘の夫、拓郎の存在が……ちょっと予定調和的でいい人過ぎるかな、と思いましたが。

三浦しをん、以下三浦 : 私も、七編とも非常にバラエティにも富んでいましたし、面白い作品ばかりだなと思って読みましたが、なかでも「同居人」にはAをつけました。熊蔵のような存在が現れるのはわりとよくある設定だと思いますが、おばあさんや、周辺の人物の善意、心情が細やかに書かれているのでとてもいいと思いました。
ただ、ちょっと細部への目配りが足りないところがありました。熊蔵という、幻覚なのか、実在しているのかわからないものを、おばあさんは存在していると思っているわけですが、「もしかしたら自分の幻覚かも」と不安になったときに、熊蔵がいた痕跡を探します。でも、熊蔵が腰巻にしていた汚い手拭いが残っているはずなのに、それを探すことをしないのはなぜだろうと思いました。

藤沢 : 実際のお年寄りなら、必死になって延々探しているかもしれませんね。

三浦 : せっかく冒頭で腰巻を出しているのだから、そこで書くべきだと思います。他にも、十センチぐらいの体長の人に目玉焼き一個はでか過ぎないかな。うずらの目玉焼きにするとか、もう少し考えて書いていくともっとよくなるのではと思いました。
ただ、読者をはらはらさせつつ、最後は「どうやら幻覚ではなかったようだ」みたいな終わり方が、かえって突飛な感じがしなくて心地いいお話になっています。

藤沢 : やっぱりディテールをもう少し書き込んだほうがいいですね。ただ、さっきの拓郎の話ですが、多分、意識的に彼をいい人格にしているのかな。認知症や、孤独を抱えている老人が思い込む妄想、思い込みみたいなものを大概の人は否定するじゃないですか。その妄想に付き合う、肯定することで老人は安心するということを、介護をやっている方に聞いたことがあります。そういう存在としての拓郎。「おばあちゃん、そうだね、いるね」って肯定してあげる人物として戦略的に使っているのでしょうね。きっと作者は非常に優しい人なんだろうな。

三浦 : 非常に優しい人だと思います。もっと残酷な話にだってできたと思うんですよね。でも、最後に希望があるじゃないですか。おばあさんが改めて生きる希望みたいなものを取り戻す流れにしてあるところが、私はすごく好きでした。あと、猫のトラがカッコいいですよね。動物の描き方も非常に楽しい。

藤沢 : それぞれの登場人物、動物のキャラクターの配置みたいなのがよく計算されている。

三浦 : 手慣れている感じがします。ただ、拓郎が本当にいい人なのか、お母さんをあんまり刺激してはいけないと思っているだけなのか、作者がどっちの感じで書いていらっしゃるのか、ちょっと曖昧かもしれませんね。

――続いて「蛮族の花」。

藤沢 : 僕がまず感じたのは、「ああ、中上健次っぽいな」という点ですね。方言を使っているというのもありますが、狙っているのかなと思いました。ただ、素材を盛り込み過ぎ。幾つかの仕事をやっているというのはいいと思うんですね、この不況の世の中だからそうやらないと食えない。ただ、絡ませる必然性がちょっとなかったような気がします。環境アセスメント会社に勤めるなら環境アセスメントだけに焦点を当てて書くこともできるし、スカウトマンだったらスカウトマン、あるいは花に惹かれているもっと淫靡で変態性みたいなものもあり得る。素材的にはすごく面白いんですが、アイデアを全部使ったのがもったいないと思いました。

三浦 : キザで大げさな言い回しが多いから笑っちゃった。でも、それがハマっているところもあって、読んでいると快感に変わってくるんですよね。描写もハッとするようなところがありました。
ただ、主人公の自意識の過剰さが微妙かな。おっしゃったように、題材もてんこ盛りで、この枚数だとちょっともったいない気がしました。面白いとは思いましたが、主人公の自己陶酔を反映した文章と、てんこ盛りな題材が合ってないんじゃないかな。こういう文章だったら、スポーツものとか剣豪ものを書いたほうが、読者もこの文章や世界に乗れるし、すっきりした気分で読めるかなあという気がしましたね。あと、人称の視点のブレがやや気になります。それが、主人公のナルシシズムをより強調する結果になっている気がしました。

藤沢 : いま三浦さんがおっしゃったスポーツものや剣豪ものがいいのかもしれない。例えば、ケーキを守りながら腹を殴られているシーンとか、電話で「何やってんじゃ、ボケ!」なんて言いつつ、「ケーキ持って行くからな」みたいに言う会話なんか、言葉のリズムは非常に才気を感じますが、地の文のところで自意識のあり方が出てくるんでしょうか。

三浦 : ややカッコつけ過ぎかなという感じですね。ただ「俺は日めくりカレンダーの安っぽい教訓かよ」という言葉なんか大真面目ゆえに、逆に面白いみたいなところもある。その辺は、按配ですかね。女の子の方言や、ぎりぎりの心情などはいいと思いました。

藤沢 : 確かに女の子はよかった。だから、こういうやさぐれた世界の息使いはちゃんと書けている。彼は、アイデアがたくさんある人だと思います。アイデアは浮かんだら使いたくなりますが、そこをいかに文脈あるいはそのシーンに合わなかったら潔く捨てられるか。もったいないと思いますが、いかに捨てるかというところを、この人が覚えていくと骨っぽい小説を書くかもしれないですね。

三浦 : エピソードをちょっと整理したほうがいいですね。私は、環境アセスメントの話が一番面白かったと思います。

藤沢 : そうですよね。そこを焦点にすればよかったな。評価はCマイナスでした。

三浦 : 私はBプラスです。

――次は「父を捨てる」です。

三浦 : 私は、Bをつけました。嫌味がない話で悪くないと思いましたが、やはり題材がよくあるもので、どこかでこういう話は聞いたり、読んだりしたという感じで、それを超える目新しさや展開の工夫は感じられなかった。
あと、この話を語り手がいつの時点から語っているのかという、時制が曖昧なのが気になりました。現在進行形の話なのかなと思ったら未来から振り返っているようで、その未来がいつなのかというのも、話が展開するに従って「あっ、もっと未来から回想していたんだ」とやっとわかる。
それから、基本的にはあまりひっかかるところのない文章だと思いますけど、細かい言葉の選び方とか、会話文の語尾などはちょっと練りが足りないと思います。「何とかなのよ」って、普通の会話ではあまり言わない。会話や、人物の仕草の描写がどこか芝居っぽくてリアルじゃない。それが非常に気になって、ちょっと入り込めなかった。ふだんから会話の語尾に聞き耳を立てるのは、小説を書くうえでわりと有効だと思います。

藤沢 : 僕は、これはAをつけました。ただしベタなテーマで、人物の描き方、輪郭がどこかステレオタイプ。確かに泣かせるいい話ではありますが、既読感がある。NHKの朝のドラマ的ですね。だから、セリフもそうで、「何とかだわね」とか、「何とかなのよ」となってしまったんだと思いますね。
ただ、人生のさりげないところにある結節点といいますか、そういう事件がいまここを伏線にして物語を引っ張っていくみたいなところはなかなか達者だなとは思いました。

三浦 : お兄さんとの関係が、年齢とか環境が変化することによって徐々に変わっていく辺りは、非常に繊細に描かれていると思います。ただ、例えば「孤独だった」というところは、孤独さは読めば十分に伝わってくるので、わざわざ書くのはダサい。

藤沢 : ダサいね。説明じゃなくて描写でいかなくちゃだめですね。

三浦 : 会話の取ってつけたようなダサさみたいなのと通じる、ちょっと書き過ぎている感じがあります。語り手の年齢を出すのも遅いですよね。「十五歳の私の」というのが九ページ目まで出てこない。高校生なのはわかりますが、高校何年生なのか。そういう細かい情報の、出し方のタイミングが甘い。

藤沢 : ちなみに高校一年生とか、中学三年生で、こんな大人っぽい会話しますか。

三浦 : しないと思います(笑)。

藤沢 : やっぱりこの辺が、「どこかのドラマで見たかな」というところですね。

三浦 : ただ、このぐらいの年のときって、ドラマや小説やマンガに影響されやすいから、何か深遠っぽい問題を友達とこんなふうにしゃべるとかって逆にあるかもしれませんけどね。

photo藤沢 : そこまで意識はしてないね。

――続いて「山路」、これは時代ものです。

藤沢 : 達者だなと思いましたが、藤沢周平さんとかを狙ったのかなという気がした。うまいんですけど、予定調和。ところどころ都合のいい展開が見える気がしましたね。テクニックは卓越しているなと思いますが、あまり感動はなかったんです。メインのストーリーが、人物の内面というと硬いですが、ちょっとそこに届いてない感じ。一応Aにはしましたけど……。どうですか。

三浦 : 私は、これはBマイナスです。女の人の心の揺れ動きとかが微細に書かれていて読ませます。ただ時代小説って難しいなと思う部分ですが、私が一番気になったのは、語り手が夫とうまくいかなかった原因は、彼女が処女じゃなかったからということですね。これを、この形のままで果たして現代の読者に受け入れてもらえるのか。当時はそうだったのかもしれないのでそれはいいんですが、このままでは、夫の伊織の言い分もわかんないし、語り手も何だか悲劇のヒロインぶっているように読めてしまって感情移入できない。「蛮族の花」の女版というか、語り手の自意識過剰かなと読まれてしまうおそれがあるのではないかと思います。
語り手の心情、言い分が、このままだと身勝手で上から目線に見えるのが、気になるところです。この作品は三人称にして夫の心情も書いたほうがよかったのではないかと思います。そうすると、語り手の自己弁護に見えるところとか、身勝手に見えるところを和らげられるのではないか。夫の言い分も聞かせてほしい、と私には思えるんですよ。

藤沢 : 最初の相手もですね。彼に騙されてしまったということですが、この男と、夫の伊織に何かがあって、それで妻を邪険に扱っていたというような必然的背景がほしいところですね。

三浦 : いまのままだと、最初の男が「オレの女だったんだぜ」みたいな告げ口したから、それだけで夫はカーッとなっている感じに見えます。それだけでそんなに妻を邪険にするような男なんて、「どうでもいいじゃん」って思えるんです。このままでは、伊織の魅力が全然伝わってこない。伊織がいまいち魅力に欠けるため、語り手がこんなふうにいろいろ考えて、我慢したり、心を乱したりする必然性があまり感じられない。登場人物の言動や心情が、どうも一人よがりに見えてしまいます。

藤沢 : だから、最後に離縁状が発見されたけど、そのありがたみがあんまり感じられなかったんです。結局、同じように相手の男の内面というか、背景みたいなものを出してこないと、最後の離縁状でなかなか泣けない。

三浦 : 盛り上がらないですよね。もうちょっと何か夫とのエピソードがあるとか、夫の心情や優しさが垣間見えるようにしたほうがいいのではないでしょうか。

――次は「涙の純度」です。

三浦 : 私は、これはCをつけました。「涙師」の設定がいろいろあるようだけど、ちょっと細か過ぎるし、矛盾もあってわかりにくい。そして、説明をするタイミングがすべて遅いと思いました。結局、話が展開しなくて、作品の世界の設定書きを読まされているみたいだなと思ってしまいました。
この職業に主人公が就いたことによって、お姉さんの事件がある種の前進をするとか、家族の間に何か新たな関係が築かれるみたいなことがあるのかなと思ったら、全然そうでもない。エピソードが、うまく噛み合ってない気がしました。ただ、家の様子とか、着物や小道具、そういうのはとても楽しい。

藤沢 : 魅力的な設定ですね。

三浦 : 人物のちょっとした色気みたいなものを作者が描きたいと思っていらっしゃる。それもよく伝わってきましたので、楽しいし、魅力的な人々だなとは思いましたが、いかんせん、エピソードと絡めた効率のいい読者への設定の説明というか提示がないところは残念ですね。

藤沢 : 様々な涙のバリエーション、涙のドラマ性が凝縮されて、そういうものを追っていくというのがモチーフになっていると思います。ただ、主人公のお姉さんがレイプを受けて死んでしまったというのはちょっと唐突。いくらフィクションとはいえ、もっと違う形のほうがいいと思うんです。物語の構成とか、ラストも、やはり弱い。予定調和的で、ほのぼのとして終わっている。涙を採取する。そして、記憶をなくすことで人を救う。「救う」とか、「救わない」という言葉がけっこう出てきますが、その辺りも説明的ですよね。そうではなくて、どう救われているのかを、あるいは登場人物の表情、仕草、言動などの描写で表わすのが腕の見せどころだと思います。

三浦 : お姉さんのレイプにまつわる話というのは非常に重いし、深刻な話だと思うのですが、この主人公が涙職人になって何をするかといったら、失恋して泣いている人の涙を取るだけ。その落差に私はびっくりして、「えっ! これが初仕事として、この話のクライマックスにくるエピソードなわけ?」って、ちょっと肩すかしでした。「じゃあ、お姉さんのエピソードなんか出さないほうがよかったんじゃん。就職難だから、涙職人になったでいいじゃん」みたいな。

藤沢 : そのほうがよほどリアリティがある。

三浦 : これはもっと長い話というか、シリーズものみたいな構想で、この作品はプロローグ部分なんじゃないかなとは思ったんですけど。その辺のバランスが悪いですよね。

藤沢 : アイデアは面白いといえば面白いですよね。涙師なんて。しかも、たくさんの流派があるでしょう?

三浦 : それぞれの流派に紋がちゃんとある。

藤沢 : 陰陽道のような、八卦のような。そういうのは凝ってやったんでしょう。ただ、この設定をつくるのと同じぐらい、心情というか、そういう方面にも気を配ってエピソードづくりをしたほうがいい。そこがちょっと弱いと思います。僕は、これはBですね。

――次は「忌日」です。

藤沢 : これはCでした。民俗譚というか、トーンがゴシック系というか、いろいろな解釈ができると思いますが、描写不足かなと思ったんですよ。ある種稚拙な、子供が書いたようなものというか……。本当にこうとしか書けないのかというのがまず疑問だったんです。
ただ、死者と生者の交感や通信、語り合いですね。そういうものを通して生きること、あるいは死ぬこと、様々人の抱えるものが主要なテーマになっているというようなことは十分伝わってきました。

三浦 : 私はAマイナスなんですが、面白く読みました。こういうのもわりとよくある話ですが、私がいいなと思ったのは、けっこう笑えるというところでした。描写が大掴みなのも、私はわざとかなと思った。例えば、「祐二君の言っているのはたぶん伊達巻だろうが」というセリフ。「そんなことをセリフで説明している場合じゃないぞ、あんた」みたいな緊迫した場面で出てくる。それが主人公の律義な性格を非常によく表しているというか。笑えるシーンがわりとあって私は好きでした。しかし、根本的な疑問として、なんでこの村は火葬にしないのですか。

藤沢 : ねえ(笑)。

三浦 : 火葬にすれば、問題は解決でしょう。「村の風習だから」みたいに最初のほうにちらっと書いてあるけど、その一言では、この大変な状況を持続させる説得力がない。普通だったら、何が何でも火葬場を作って火葬にする。そこで、このお話の根本が崩れる気がするんですね。なぜ、土葬を続けるのかというのはちょっと話の中でも触れていますが。村の外に行けばゾンビは追いかけて来ないんだったら、大みそかと正月はどう考えても村から出たほうがいい。こんなすごいことが起こる村には、絶対に毎年マスコミが詰めかけるし、「ゆく年くる年」のかわりにこの村から実況中継ですよね。そういうふうにすると、もっと面白かったかなと。

藤沢 : なるほど。それなら、面白いですよ。

三浦 : 「いよいよおじいさんがゾンビになって帰ってきました、いまのお気持ちは?」みたいに家族に聞いたりとか。そのほうがブラックで楽しい話になった。例えば、この村には絶対に火葬にできない何らかの理由があるとか、村の人たちの信仰でも何でもいいんですが、もうちょっと工夫が必要かなとは思いましたが、話自体はハラハラして読みました。

――では、最後に「アッティラ!」。

藤沢 : 僕はこれを最初に読みましたが、非常に好感を持ちました。「人類愛」というか、生きることのすべての肯定。とにかく、人間のネガティブなものも全部含めて肯定していくという。大げさに言うと宗教的なことになると思いますが、啓蒙的ではない。人間もよく描かれている。読んでいくと、「これノンフィクション?」と思うほど、細部にリアリティがあるように思いました。
ですから、大雑把な言い方になりますが、癒しの小説といいますか。何よりも、リアリティというか、登場人物の咀嚼がこの作者の中でできているなというのを感じました。どちらかというと、人間愛というとちょっと構えてしまいますが、素直に読みました。

photo三浦 : この話は、押しつけがましいところが全然ないんですよね。そこがすごくいいですね。私はAをつけました。アッティルカイラーという着想がまず素晴らしいし、独創的だなと。「ちょっと善意とか希望に傾き過ぎなんじゃない?」と意地悪な思いで読んでいくと、そのうちに「でも、それがいいんじゃないか。それでいいんじゃないか」というふうに思わせる力がある。音楽がとても重要なテーマになっていますが、アッティルカイラーの人たちの音楽を受け入れない人もいるというのもちゃんと作中で書いてあるんですよ。変な洗脳とかファシズム的な何かではなくて、たまたま彼らの音楽に惹かれた人が、楽しい時間と心洗われるような瞬間を得ましたという、すごく当たり前だけど、非常に書く塩梅が難しいものをよくこんなふうに描けるなと思いました。そして、歌詞が全部律儀に書いてあるじゃないですか。

藤沢 : 「子供が可愛い」とかね(笑)。

三浦 : そうそう(笑)。どんなリズム、どんなメロディーなんだろうってやっぱり聞きたくなる。これが例えば映画だったら、どうしても音楽を実際に流さなければしょうがないから、趣味に合わないと感じる観客も出てきて、絶対にダサくなると思います。だけど、小説は音が聴こえないからこそ、読者それぞれが非常に素晴らしい音楽を自由に想像できる。それが多分、アッティルカイラーの人たちの言っている音楽というものなんだと思わせる、その辺の構造もうまいなと思いました。小説だからこそ、こういうふうに音楽を表現できる。

藤沢 : これは、小説ならではのよさが出ていますね。ですから、読者によっていろいろな音を思い浮かべて一番いい音になる。逆説的な言い方になりますが、音楽を下手に自分のフレームで書くのではなくて、イメージさせるという余白の部分をちゃんと押さえて書いている。

三浦 : うまいですね。作者は本当に音楽が好きなんだなと思わせる。かといって、文章も登場人物も、スカした感じのオシャレ野郎という感じは全然ない。このお店に集っている人たちは、普通に地に足つけて暮らしているんだなというのがよく伝わってくるんですね。

藤沢 : 僕の評価もAです。最初に読んだときに、「一発目から、こんなに皆レベルが高いのか」と思って一応Aをつけておきました。そしたら、読んでいるうちにCも出てきましたから、ちょっと安心したんですけど(笑)。

――それでは最終的に受賞作を選んでいただきます。お二人ともAをつけたのが「同居人」と「アッティラ!」になりますが、それ以外の作品はいかがでしょうか? 藤沢さんは「父を捨てる」にAをつけていますが。

藤沢 : 僕は「父を捨てる」でなぜ泣いたかというと、単純にこういう話に弱いというのがあって、予定調和でも何でもこういうのは泣いちゃうんです(笑)。ただし、既視感、既読感はありました。小説というのは登場人物が本当に命を持ち始めたら作者の意図とは違うほうに動くはずなのに、これは最初から作者の中で決まっていたところが残念。決まっているように動いているところが、やっぱり甘いかなと思いましたね。

三浦 : いまおっしゃったような予定調和の部分が、構成にも影響していると思います。過去を回想している現在の時点からはじまり、過去の出来事を追って、最後に現在の時点に場面が帰る構成になっています。でも、こういうふうにしないで、これは現在進行形でどんどん押して書くほうがよかったんじゃないでしょうか。回想みたいに一歩引いた感じで読ませるのではなくて、そのときそのときの語り手の生の気持ちをもっと出すべき。そうすると、登場人物の情熱や感情がより鮮明になって、最後のお父さんを看取るところがもっと真に迫ってきたのではないかと思います。

藤沢 : 小説を書いていって作品の輪郭が出来上がっていき、登場人物が作者の手を離れて動き出したら、それはむしろチャンス。そこで制御しないで、もっと遊ばせるというとおかしいですが、泳がせるほうがいい。三浦さんがおっしゃったように俯瞰している感じがずっと付きまとっていて弱いのはもったいないですね。

――三浦さんは、「忌日」がAですが。

三浦 : ………(笑)。

藤沢 : 三浦さんが笑うのはわかる(笑)。

三浦 : ホラーって笑える部分があるのが大事だと思うので、「忌日」はそういう塩梅はとてもいいなと思いました。ただ、とにかく「なぜ火葬を導入しないのか」の説明が欲しいです。そこを突かれたらこの話はガラガラと崩れる。大掴みなのが魅力だと私は思いましたが、読者にその辺を突っ込まれないように、もうちょっと緻密に設定してもいいかなと思いましたね。すごく好きでしたけど、これは火葬問題もあり、なかなか推し切れぬところではあります。

――では「同居人」と「アッティラ!」で選んでいただきましょう。

藤沢 : どちらも、いま現在の何かしらの世相というか、かなり重要なものを扱っていますね。ただ「同居人」は、やはり細部への目配りが欲しいかなと思いました。先ほどの「手拭い」とか、もう一歩というところですね。そこをもし書き込まないんだったら、もっとシュールなものにいってもいいのかなという気がする。

三浦 : おばあさんがもっとどんどんおかしくなるとか、ややダークなほうに振ってもいいのかな。リアリティを持たせるのだとしたら、もうちょっと細部を書くべきだと思います。例えば、砂が入った小さなトイレを、熊蔵は自分できちんと管理したらしいですが、どう管理したのかこそを知りたい。そういうところから、熊蔵がいままでどんな暮らしだったのかも想像がつくのではないかと思います。

藤沢 : 実際、この作者は「老い」ということを真摯に書こうと思ったんだろうなと感じます。山手線の場面は、本来だったら入れなくてもいいシーンですが、入れることによって老人が都会に出た時の怖さ、孤独感を出したかったんだと思います。

三浦 : そこはいいなと思いました。大きな建物がいっぱいある風景を見て、語り手が、「熊蔵にも私はこんなふうに大きく見えているのかもしれない」と思う辺りとか、非常にいいなと感動しました。たとえ年老いていなくても、寄る辺なくさびしく感じられる瞬間が誰にでもあるなと思える描き方だと思うんですね。山手線のシーンがあることによって作品のムードというか、よさがグンと高まる。押しつけがましくない優しさにあふれている話だなと思います。

藤沢 : 一方、「アッティラ!」は、多分これこれこういうテーマで、こういう集団がいて、人生を楽しんでいる。あるいは、人に与えるというふうなものを真っ当に書こうとしたら説教くさいし、それこそ押しつけがましくなるはずですが、これを免れている。最近、啓発本はすごく流行りですが、その類いの上から目線ではなくて本当に自分にとって大事なもの、幸せって何だろうということに足元から気づいていく部分。それも自然だし、登場人物を大事にしていくあたりも、なかなかやるなと思いましたね。

三浦 : 最初の会話で、すごく引き込まれますよね。「何が始まるの?」って思うし、ドキドキ感がずっと持続する。もっと「アッティルカイラーが迫害される」みたいに大変なことになってもいいんだけど、大した事件は起こらない。でも、尋常じゃない引き込み力があるんですよね。だから、「彼らは本当にいるんじゃないか」と思って調べたくなる。そんな感じですよね。

藤沢 : こうやって読んでみると、導入部にまず差が出ますね。いかに引き込むか。

三浦 : やはり、まどろっこしいのはだめですね。もう、パッパと本題にかかるというか、その勢いというのが、この作品はすごい。

藤沢 : 三浦さんもそうだと思いますが、小説が大体頭の中でイメージができあがっても、書き出しで悩みませんか。

三浦 : 悩みます。書き出しはやけにもったいぶって重厚になりがちだと思いますね。でも、この作品はそうじゃないんですよね。最初から最後まで非常に軽快だし、いい意味で、気負いは全然感じられなくてリラックスした世界に読者が入っていけます。アッティルカイラーの、わけのわからない諺(ことわざ)とかも、すごくありそうで面白い。

藤沢 : どうやら「アッティラ!」がいいんじゃないかという感触がありますが。

三浦 : 私も、実はこれが一押しだなと思っていました。

――それでは、文句なしに「アッティラ!」を受賞作とさせていただきます。最後に、今回の選考のまとめをお願いいたします。

藤沢 : 昔、夏目漱石が言ったことばで、小説をどう書くかというと、ただただ登場人物を牛のようにグングン押しなさい、というのがある。作者は神でも、俯瞰する側でもない。登場人物がだんだん息をし始めたら、彼ら、彼女らが動くがままに、ちょっと押してみる余裕もほしいという気がしました。そこを下手に動かすと予定調和になったり、いままで自分が抱えている狭いイメージの小説になってしまうので、せっかくの才能がもったいないなと思う作品がいくつかありました。

三浦 : 小説には、もちろん、作者自身が何割かはにじみ出るでしょうが、自分のことを書くわけではない。自分とは全く違う人の人生を描くのが楽しいし、実在しないはずの人間が実在するかのように読むことができるから楽しいと思うんです。登場人物をより自由に作品の中で動かし、彼らが動きやすいように細部に目を配ってやる。それが地ならしだと思いますし、気を遣うべきところだと思います。設定ももちろん大事ですが、それにとらわれ過ぎると、今度はストーリーが全然展開しない。つまり、登場人物がちっとも動き出さないということになります。その辺の兼ね合いみたいなものを、常に意識することが肝心だと思います。細心さと情熱のバランスをうまく取ることでしょうか。

――どうもありがとうございました。

第4回小説宝石新人賞 籾山市太郎「アッティラ!」